形の残らないものを形に残すこと

これといった肩書きがない。職種でいえば「会社員」というありふれたキーワードで表現され、役割でいえば「プランナー」という私自身もよくわからない仕事をしている。プランナーとして働き始めてもうすぐ2年、手がけたアプリも世に出ているし、プランナーとしての実感をもっと持つべきだとわかっているが、やっぱりモノを動かしているエンジニアや色形を作るデザイナーに対する憧れのほうが強い。仕事としてプランナー職が向いてないわけではないと思っているが、マインドとしては正直向いていないと思う。


家には物が多い。「どうしてこんなに物が多いんですか?」と聞かれることが多い。物がないと不安になってしまうから物が増えていくのだ。

「この映画を見た」「この本を読んだ」という経験を、ただ経験した、と私が覚えているだけでは安心できず、映画の半券や本を手元に置いておくことで「私はこんなに経験をした人間である」と安心するのだ。証拠があって初めて、安心できる。だから見た映画も読んだ本も必ず記録をつける。

ライブに行くと必ずグッズを買ってしまうが、それも同じで、「このライブに行きました」という証を手元に残しておかないと、行った価値がないような気がしてしまうのだ。ただ、行くことそのものに価値があるのではなく行った人間になりたいだけなのだ。だから、せっかく価値にお金を払ったのにやすやすと捨てられないから、どんどん物が増えていく。

ただ、多くの経験をした、価値のある人間であると思われたいだけで、その経験自体からは私は何も得ようとしていないのかもしれない。大学に入学したのに勉強をしなかったのも同じようなものだ。私は大学生というステータスに安心したかった。何を勉強するかはどうでもよくて、何を勉強する気もなかった。

たくさん本を読む人でありたいだけで、読むことに満足している。たくさん映画を見たい人でありたいだけで、早く終わらないかなと思いながら映画を見ている。私はいったい何に時間を費やしているのだろう。

思考も生産もしない、つまらない人間だ。吸収することにのみ特化した私は、何も生まないので誰かに吸収されることはない。ただ一人で吸って吸ってそのうち消える。そうして誰の記憶にも残らないまま一生を終える。

生産がしたい、そう思っても私に中身がなければ何も生み出せない。昔医者に綺麗だと言われた私の脳には何が詰まっているんだろう。何もないなら、いっそ熊にでも食べられたほうが有益なんじゃないか。

生み出したいものも見つからないまま、ただただ吸収し続ける。味は感じていない。