オープンワールド3Dアクションゲーム「人生」
私は完璧主義だ。そう意識したのは大学生の頃で、仲の良い部活の先輩に指摘され、初めて気がついた。先輩のその発言は、私を心配してのことだった。
当時私は天文研究部でプラネタリウム班の班長をしていた。長く先輩方から引き継いできたエアードームや投映機はかなりガタが来ていて、幾度となく改修の話があがっていた。しかし、いくら理系大学生の集まりといえど、投映機のプログラミングやエアードームの設計などを簡単にできるはずもなく、改修の話は難航していた。
同時に、これでもかというくらいみっちり詰まった上映会のスケジュールがある。上映会の時期や場所によって解説の内容を変えるため、そのたびに1ヶ月以上の練習期間を設けなければならない。当然その間に新しい原稿を書いたりもする。
あまりにも忙しく、何もできなくなっていたときに先輩に言われたのが「山森は完璧主義すぎるんだよ」だ。その時の私は“耐久性がよく持ち運ぶこともできて、新しく作る予定の投映機の焦点距離に合っていてかつ各地の屋内施設内で展開できるサイズのエアードーム”と“新しく作る予定のエアードームに入ってかつ持ち運びがしやすく操作が複雑にならなくて今より性能が劣らない投映機”を同時に設計し、一年前よりも多い上映会スケジュールをこなそうなどという無茶なことをしていた。初めて使うカメラでピントを合わせようとしているのに同時に被写体を前後させるような走り方だった。
0-100でしか動けない私は、大学生としての本分であるところの学業を完全に0にしていた。エネルギーを100使い100のアウトプットができないことに耐えられず、1のエネルギーをも使うのが惜しかった。やらないかできるかの二択で物事を考えていた。
「完璧主義すぎる」と言ってくれた当時4年生の先輩は、「気負いすぎなくていい」「できなくてもいい」「もっと周りに頼っていい」などと声をかけてくれたが、結局のところあまりうまくいかず、1年間の任期でやりたかったはずのことはほとんど実を結ばなかった。
そもそも人に頼るのがあまり得意ではなかったなかで、なんとかがんばった結果、私としては75点くらいの成績を出せたと思っていた。しかし、卒業してから何年か経って、当時の先輩に「20点だろ」と言われ、あんなに苦しんでその評価は時間が経ったとしてもキツすぎて、他にも90点の評価をしてくれている人がいるとはわかりながらも、大学時代のコミュニティのほとんどから退会した。
会社で働くようになってからも完璧主義は至るところで現れた。会社の人にも指摘されたことがあるし、うまくいかないときはだいたいそれが原因だった。
しかし近頃は、周囲にいる反完璧主義の人々のお陰で、だんだんと完璧主義が和らいでいるように感じる。仕事も60点くらいで音を上げて助けを求めることができるようになったし、創作活動もレイアウトが崩れているサイトを公開したままのんびり修正している。肩の力が抜けたといえば良いだろうか。
人生に明確な着地点や完成形はなく、100%の形で作り上げることはできない。そのことが長く私を悩ませ苦しめたが、今はある程度の解が出ている。
人生の進捗ゲージはすぐに100%にはならないが、このゲージは下がることがなく進み続ける。ゴールはまだ見えないが、日々たくさんの経験を積めばその分の経験値が手に入る。経験値をもとに、道中のショップで新しい装備が手に入る。とはいえ急に物陰から飛び出す怪物に襲われ、ゲームが終了するかもしれない。
しかしオープンワールドなマップゆえ、どこに行くかどの道を辿るかも自由だ。自分で地図を開拓し、好きな道を走れるのは思っていたよりも楽しい。